トーマス・ヤング:光の波動説を決定づけた二重スリット実験
光の性質を巡る歴史的な問いかけ:粒子か、それとも波か
光とは一体何でしょうか。古くから科学者たちはこの問いに頭を悩ませてきました。遠い光源から私たちの目に届き、様々な現象を引き起こす光の正体は、長きにわたり物理学における大きな謎の一つでした。
特に17世紀以降、光の性質を巡っては「粒子説」と「波動説」という二つの大きな考え方が対立しました。アイザック・ニュートンが提唱した粒子説は、光は微小な粒子の集まりであり、その粒子が直進することで光の様々な現象を説明できるというものでした。ニュートンの権威は絶大であり、彼の粒子説は当時の科学界で非常に強い影響力を持っていました。一方、クリスティアーン・ホイヘンスらは、光は波のように伝わるという波動説を唱えていましたが、粒子説に比べて現象の説明が不十分な点もあり、主流とはなり得ませんでした。
この粒子説優位の時代において、光の波動説に決定的な証拠をもたらしたのが、19世紀初頭のイギリスの科学者、トーマス・ヤングです。彼は、非常にシンプルながらもその結論が革命的なある実験を行い、光の性質に関する議論の方向性を大きく変えました。それが、「二重スリット実験」と呼ばれるものです。
博識多才な科学者 トーマス・ヤング
トーマス・ヤング(Thomas Young, 1773-1829)は、物理学だけでなく、医学、言語学(特にエジプトのヒエログリフ解読)、生理学、保険数理など、驚くほど多岐にわたる分野で業績を残した人物です。「最後の何でも屋(The Last Man Who Knew Everything)」と称されることもあるほど、彼は膨大な知識と深い洞察力を持っていました。
医師として生計を立てる傍ら、科学研究に没頭したヤングは、人間の目の焦点調節の仕組みを解明したり、色の見え方に関する三色説(ヤング=ヘルムホルツの三色説)を提唱したりするなど、光学や生理学の分野で重要な貢献をしています。そして、彼の物理学における最も有名な業績が、光の干渉に関する研究、特に二重スリット実験なのです。
当時の科学界は、依然としてニュートンの粒子説が光の標準的なモデルでした。光が直進すること、反射や屈折といった現象は粒子説でも説明が可能でした。しかし、ヤングは光が持つ別の性質に注目していました。それは、音が波であるように、そして水面にできる波紋が互いに影響し合うように、光も波として振る舞うのではないかという考えです。
粒子説では説明できない現象への着目
ヤングが波動説に傾倒した理由の一つは、光が互いに干渉し合う現象でした。水面にできた波紋が互いに重なり合うと、波が高くなったり(強め合い)、波が打ち消し合って平らになったり(弱め合い)します。このような現象は、波の重ね合わせによって起こります。ヤングは、もし光が波であるならば、光も同様の干渉現象を示すはずだと考えました。
特に彼が注目したのは、薄い膜(例えば石鹸の泡や油膜)に光を当てた時に見える美しい虹色の模様や、鳥の羽の構造色などです。これらの現象は、光が膜の表面と裏面で反射し、二つの反射光が互いに重なり合って干渉することで生じることが、波動説では自然に説明できます。しかし、粒子説ではこれらの複雑な色のパターンを明確に説明するのが困難でした。
ヤングはさらに、光の回折という現象も、光が波である証拠だと考えました。光が物体の縁を回り込んだり、小さな穴を通過した後に広がったりする現象です。これは、波が障害物の後ろに回り込む性質(回折)とよく似ています。
二重スリット実験:光は確かに波であった
ヤングは、光が波であるかどうかを直接的に検証するために、有名な二重スリット実験を考案しました。実験は非常に単純な構成でした。
まず、一つの光源(当時は太陽光をピンホールで絞るなど)から出た光を、一枚の板にあけられたごく細い一つのスリットに通します。これは、波の発生源を一つに絞るためです。このスリットを通った光(波)は、少し広がります(回折)。
次に、その広がった光の先に、二つのごく近い平行なスリットをあけた別の板を置きます。最初の一つのスリットから出た光が、この二つのスリットの両方に同時に到達すると、それぞれのスリットが新たな波の発生源として機能します(これはホイヘンスの原理に基づいた考え方です)。
この二つのスリットから出た光(波)が、さらに先のスクリーンに到達するとどうなるでしょうか。もし光が粒子ならば、二つのスリットの真後ろに対応する二つの明るい線ができるはずです。しかし、ヤングが観察したのは全く異なる現象でした。
スクリーンには、明るい線と暗い線が交互に並んだ「干渉縞(かんしょうじま)」が現れたのです。中央が最も明るく、そこから左右対称に、明るい部分と暗い部分が規則的に繰り返されていました。
干渉縞が示す波の証拠
この干渉縞こそが、光が波であることを示す決定的な証拠でした。二つのスリットから出た光の波がスクリーン上の各点で重なり合い、場所によって強め合ったり弱め合ったりした結果として干渉縞が生まれたのです。
例えば、スクリーンの中央は、二つのスリットからの距離が等しいため、波の山と山、谷と谷が常に重なり、波は強め合います。結果として、光が明るく見える「明るい縞」ができます。中央から左右に少しずれた場所では、二つのスリットからの距離が異なるため、光の波がスクリーンに到達するまでに進む道のりに差が生まれます。この道のりの差が、ちょうど波長の整数倍になっている場所では波が強め合い、明るい縞ができます。一方、道のりの差が波長の半整数倍になっている場所では、波の山と谷が重なり、波は弱め合って打ち消し合います。結果として、光が見えない「暗い縞」ができるのです。
ヤングは、この干渉縞の間隔を測定することで、光の波長を計算することに成功しました。これは、光に具体的な「波長」という波特有の物理量を割り当てた画期的な出来事でした。
科学界への影響と後の発展
ヤングの二重スリット実験と干渉縞の発見は、光の波動説に強力な根拠を与えました。しかし、長年ニュートン哲学に慣れ親しんだ当時のイギリスの科学界は、この新しい考え方をすぐには受け入れませんでした。むしろ、多くの批判や嘲笑に晒されたと言われています。ヤング自身も、その多忙さや他の分野での活動もあり、この研究を突き詰めることはしませんでした。
しかし、フランスを中心に、オーギュスト・フレネルなどの物理学者たちがヤングの研究を引き継ぎ、波動説に基づく回折や偏光といった光の様々な現象の理論的な説明を進めました。特にフレネルは、ヤングの発見した干渉の原理を数学的に定式化し、波動説の体系を確立しました。
これらの研究の流れが、後にジェームズ・クラーク・マクスウェルによる電磁気学の統一理論へと繋がり、光が電磁波の一種であることが明らかになります。これにより、光の波動説は不動のものとなり、19世紀物理学の大きな成果の一つとなりました。
もっとも、20世紀に入ると、アインシュタインによる光電効果の説明やプランクの量子仮説などから、光が粒子(光子)としての性質も持つことが明らかになり、光の性質はさらに深い「波動と粒子の二重性」という概念へと発展していきます。しかし、ヤングが波動説に道を切り開いたことは、その後の物理学の発展にとって不可欠な一歩だったのです。
現代の技術へのつながり
トーマス・ヤングが発見し、光が波であることを証明した干渉という現象は、現代の科学技術において非常に重要な役割を果たしています。
- ホログラフィー: 物体の立体像を記録・再生するホログラフィーは、まさに光の干渉を利用した技術の代表例です。物体からの反射光と、直接照射した参照光を重ね合わせて干渉縞を作り、それを記録することでホログラムが作られます。
- 光学計測: 干渉計と呼ばれる装置は、光の干渉を利用してごくわずかな長さの変化や表面の凹凸を高精度で測定します。例えば、レンズや鏡の表面精度検査、精密機械部品の寸法測定などに用いられます。また、重力波望遠鏡LIGOのような巨大な観測装置も、レーザー光の干渉を用いて遠方宇宙から届く微弱な重力波を検出しています。
- 光通信: 光ファイバーを用いた高速通信技術では、光を信号として伝送しますが、光の干渉は信号の変調や復調、あるいは波長分割多重(WDM)などの技術で応用されることがあります。
- 薄膜技術: スマートフォンのディスプレイやカメラレンズの反射防止コーティング、特定の波長の光だけを通すフィルターなども、薄膜による光の干渉効果を利用して設計されています。
このように、トーマス・ヤングが好奇心と洞察力から行った光の干渉の研究は、単なる物理学の歴史上の出来事ではなく、私たちの身の回りにある様々なハイテク製品や先端研究を支える基礎原理として、今も生き続けているのです。
まとめ
トーマス・ヤングの二重スリット実験は、ニュートンの権威が支配的だった時代に、光が波としての性質を持つことを決定的に示した画期的な発見でした。彼の研究は、当時の懐疑的な目をものともせず、その後のフレネルやマクスウェルによる光の電磁波説へと繋がる重要な礎を築きました。
ヤングの発見した光の干渉原理は、現代においても様々な形で応用され、私たちの生活や科学技術の発展に不可欠なものとなっています。彼の博識さと、固定観念にとらわれずに真実を探求する姿勢は、現代に生きる私たちにとっても、学び続けることの価値を示唆していると言えるでしょう。光の物語は、粒子と波の二重性を経て、さらに複雑で奥深い世界へと続いていきます。