エンリコ・フェルミ:中性子研究から原子力時代の幕開けへ
エンリコ・フェルミ:多才な巨人が拓いた原子核の世界
物理学史には、特定の分野を深く掘り下げた専門家が多くいますが、エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi, 1901-1954)はその例外とも言える存在です。彼は量子力学、統計力学、原子核物理学、素粒子物理学といった広範な分野で傑出した業績を残し、「最後の普遍的な物理学者」とも称されました。特に彼の原子核物理学への貢献は、現代のエネルギー技術の基礎となる原子力時代の幕開けに直結しています。
この記事では、エンリコ・フェルミの人生と、彼が原子核物理学の黎明期にどのように貢献し、中性子の研究から核分裂連鎖反応の実現へと至ったのかを探ります。そして、その発見が現代社会にどのような影響を与えているのかを見ていきます。
物理学の「ローマ学派」を率いた俊英
エンリコ・フェルミは1901年、イタリアのローマに生まれました。幼い頃から驚異的な数学と物理学の才能を示し、ピサ高等師範学校に進学します。当時、物理学は量子論や相対性理論といった新しい概念が登場し、大きな変革期を迎えていました。フェルミはこれらの最先端の理論をいち早く習得し、イタリアに帰国後、ローマ大学の教授に就任。瞬く間に優秀な若手研究者たちを集め、「ローマ学派」と呼ばれる活気あふれる研究グループを形成しました。
彼の初期の業績には、フェルミ粒子と呼ばれるある種の素粒子が従う「フェルミ統計」や、量子力学における重要な概念である「フェルミ相互作用」(後に弱い相互作用と呼ばれるようになる)を導入したベータ崩壊の理論があります。しかし、彼の最も影響力の大きな仕事は、原子核物理学の分野でなされました。
中性子発見後の原子核研究:課題と期待
1932年、ジェームズ・チャドウィックによって中性子が発見されたことは、原子核研究にとって画期的な出来事でした。それまで原子核は陽子と電子から構成されると考えられていましたが、中性子の存在が明らかになり、原子核は陽子と中性子から構成されるという現在のモデルが確立されました。
中性子は電荷を持たないため、原子核のクーロン反発力を受けずに原子核内に入り込むことができます。これは、正の電荷を持つ陽子やアルファ粒子といったこれまでの「弾丸」では難しかったことです。科学者たちは、中性子を原子核にぶつけることで、様々な種類の原子核反応を引き起こし、新たな同位体や元素を作り出せるのではないかと期待しました。しかし、どのようにすれば効率よく核反応を起こせるのか、未知数でした。
フェルミの中性子実験:人工放射能と「遅い中性子」の発見
フェルミは中性子の発見にいち早く着目し、系統的な研究を開始しました。彼は様々な元素に中性子を照射し、どのような放射能が生じるかを調べました。これは人工放射能の研究の始まりでした。
彼の有名な実験の一つに、中性子源とターゲット物質の間に、水やパラフィンといった水素を多く含む物質を置くというものがあります。この実験を行ったとき、彼はターゲット物質に生じる放射能が、間にこれらの物質を置かない場合よりも著しく増加することを発見しました。
当初、この効果の原因は明確ではありませんでした。フェルミは、水素原子核である陽子との衝突によって、速度の速い中性子がエネルギーを失い、速度が遅くなる(減速される)と考えました。そして、驚くべきことに、速度の遅い中性子(熱中性子などと呼ばれる)の方が、速度の速い中性子よりも原子核に捕獲されやすく、核反応を起こしやすいことを突き止めました。
この「遅い中性子の効果」の発見は、原子核物理学における極めて重要な知見でした。これにより、効率的に核反応を起こすための方法が見つかり、原子核を人為的に変化させる研究が大きく前進しました。この業績により、フェルミは1938年にノーベル物理学賞を受賞しています。
核分裂の発見と連鎖反応の概念
フェルミの研究は、ウランのような重い元素に中性子を照射した際に、それまで知られていなかった奇妙な反応が起こることを示唆していました。彼は当初、ウランよりも重い元素(超ウラン元素)が生成されたと考えていました。しかし、ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが化学分析によって、ウランに中性子を照射するとバリウムのような軽い元素が生成されることを発見し、リーゼ・マイトナーとオットー・フリッシュがこれを原子核の「核分裂」であると解釈しました。
核分裂の概念が明らかになると、新たな問いが生まれました。もしウラン原子核が分裂する際に、いくつかの中性子が放出されるならば、その放出された中性子がさらに別のウラン原子核に当たって核分裂を引き起こし、雪崩式に反応が続くのではないか?これが「核分裂連鎖反応」の概念です。フェルミは、遅い中性子の効果と自身の実験結果から、連鎖反応が実現可能である可能性を理論的に検討しました。
世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号」の実現
第二次世界大戦が勃発し、核分裂の巨大なエネルギーが兵器に応用される可能性が浮上すると、世界各国で核連鎖反応の研究が加速しました。フェルミはイタリアのファシズムを逃れてアメリカに移住し、マンハッタン計画の中心人物の一人となります。
彼は、制御された核分裂連鎖反応を実現するための実験装置、すなわち「原子炉」の開発を託されました。原子炉の設計には、核分裂で放出される高速中性子を減速させるための減速材(黒鉛など)や、反応を制御するための制御材(カドミウムなど)といった様々な要素の検討が必要でした。
そして1942年12月2日、シカゴ大学のフットボールスタジアムのスタンド下で、フェルミ率いるチームによって組み立てられた世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号(Chicago Pile-1, CP-1)」が臨界に達しました。これは、核分裂連鎖反応が人為的に、しかも制御された形で持続することを確認した歴史的な瞬間でした。この成功により、原子力の平和利用と軍事利用の両方が現実のものとなったのです。
現代へのつながりと応用
エンリコ・フェルミの業績は、現代社会の様々な側面に深く根ざしています。
- 原子力発電: シカゴ・パイル1号は、現在の原子力発電所の原型です。制御された核分裂反応から得られるエネルギーは、世界の電力供給の重要な一部を担っています。炉心設計、燃料挙動、安全管理など、原子炉技術の基礎にはフェルミらが築いた原理が活かされています。
- 核医学・工業利用: 原子炉で生成される様々な放射性同位体は、医療診断(PET、SPECTなど)や治療(放射線療法)、工業分野での非破壊検査や食品照射など、幅広い分野で利用されています。
- 素粒子物理学: フェルミが提唱したベータ崩壊の理論は、後に「弱い相互作用」の理論として発展し、素粒子物理学の標準模型の一部を形成しています。また、彼自身も戦後、加速器を用いた素粒子実験の研究を推進しました。
- 計算科学: 複雑な中性子の振る舞いや核反応のシミュレーションは、計算物理学の重要な応用分野であり、高性能計算が不可欠です。フェルミ自身も計算に長けており、簡単な計算尺などを使って複雑な問題を解くことで知られていました。
まとめ:多才な巨人の遺産
エンリコ・フェルミは、単に理論的なアイデアを出したり、特定の実験を行ったりしただけでなく、理論と実験の両方に精通し、さらに大規模なプロジェクトを推進するリーダーシップも持ち合わせた稀有な物理学者でした。彼の原子核物理学における業績、特に中性子の研究と世界初の原子炉の実現は、原子核のもつ巨大なエネルギーを人類が利用する「原子力時代」を切り開きました。
彼の功績は、現代のエネルギー問題、医療技術、そして基礎物理学の研究に至るまで、多岐にわたる分野に影響を与え続けています。フェルミの生涯と研究をたどることは、激動の20世紀に物理学がどのように発展し、それが世界をどのように変えていったのかを理解する上で、非常に示唆に富むものです。